【重伝建】
祇園新橋


国内屈指の茶屋建築群

京都の名社・八幡神社は、慶応4(1868)年5月30日付の神衹官達により八坂神社と改称するまで、感神院または祇園社と称していたといいますが、その祇園社を含め、清水寺、法観寺などの門前町として栄えたのが祇園一帯の起源とされています。四条通を挟んで南に位置する産寧坂伝統的建造物群保存地区もまた祇園の一部に含まれ、祇園は定義ははっきりしないもののかなり広域的な名称です。
江戸初期に鴨川の築堤工事が完成すると、鴨東地域への市街地の拡大と、祇園地域の歓楽街としての発展が進むこととなります。寛文6(1673)年に祇園社領内の弁財天町等の“外六町”が形成されますが、それに続いて正徳2(1712)年には“内六町”の茶屋街の中のひとつとして、祇園新橋の前身となる元吉町が開発されました。後年には、祇園の他の茶屋町が現代風の歓楽街として再開発される中で、新橋は伝統的な景観を重視し、現在まで見事な街並みが継承されています。


新橋通りに沿って立ち並ぶ町家群。茶屋建築はかつて日本全国に見られたようですが、どの町でも一等地に建てられているからか現存するものは少なく、まとまって見られるのは京都・金沢・小浜くらいのものです。中でもこの祇園新橋は街並みの統一性が高く、また街路も広くゆったりと散策ができます。
建物は本2階建ての町家で統一されており、軒の揃った見事な景観です。
町家には居住様式のもの(手前から2番目)と、2階に張り出しの縁側が付いた茶屋様式・数寄屋様式のもの(手前)の、大別して2種類が存在します。いずれも現在は飲食店等で活用されているケースがほとんどで、京都の中心部だけあって非常に活気のある重伝建地区です。
黒(一部は茶色)の千本出格子に、2階は簾が下げられており、新橋独自の光景を生み出しています。
街並みの西端、白川に架かる巽橋のたもとに辰巳大明神の祠があります。地域の守り神として元吉町(新橋)の住人が毎日交替で奉仕に当たっているそうです。


辰巳大明神から南、白川にかかる巽橋を渡ると、切り通しに沿って茶屋建築群が並びます。切り通しは新橋通から四条通に至る通りの名前ですが、そのうち末吉町通までの1区画が石畳の路地になっており、ここまでが重伝建地区に指定されています。ここは新橋通と異なって車は入れないような細い路地で、まさに京都にあってほしいような理想的な景観です。
巽橋越しに見る切り通し。夜は多くのお客でたいそう賑わう歓楽街です。観光客はあまりに多くなると辟易してしまいますが、茶屋町に関しては多少の賑わいがあった方が良いのかもしれません。
切り通しでは各戸に犬矢来が設置されており、京町家らしい景観を形成しています。
末吉町通から見た切り通し。町家は方形に近く、大規模なものです。


辰巳大明神から白川に沿って、白川筋が分岐しています。通りに沿って枝垂れ柳が植えられて、夏には青々とした涼しげな光景が見られます。
白川沿いにも町家が立ち並び、客室から川が望める店もあるようです。川との距離が近いのは、水とともに発展してきた京都ならではの光景かもしれません。



おまけ
祇園新橋には本当に多くの店があるので、いくつかファサードを紹介してみます。
こちらは麵処むらじ。建物が良いので、こういうシンプルな暖簾との相性も抜群です。メニューも普通においしそうなので機を見て食べに行きたいところです。
ラ・メゾン・ジュヴォー。洋菓子店だそうです。球状の照明が洒落ていますね。
緑と赤のバランスが素敵だった懐石料理・祇をん 八咫。
うなぎの寝床でうなぎを食べられる時菜 今日萬 祇園。うなぎのお店は狙っているところが数か所あるのですが、お金が足りません。ここもいつかは行きたいですね。




クセス
京阪電鉄祇園四条駅より、北東へ徒歩5分ほど


京都市
https://www.city.kyoto.lg.jp/tokei/page/0000281763.html
祇園商店街振興組合
https://www.gion.or.jp/

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