【重伝建】
宇陀松山


城下町から商家町へと発展した町



宇陀松山は、宇陀松山城の城下町として整備された街です。宇陀松山城は1615年に廃城となりますが、以降の江戸時代には大和から伊勢に通じる“伊勢本街道”の要衝として栄えます。
この様に城下町から商家町へと発展した大宇陀は、戦国時代に整備された地割りを残しつつ、江戸時代から昭和初期に至る様々な年代の建物が並ぶ優美な光景を伝えています。
ちなみに、卯建が上がる町として紹介されることもありますが、見た限りでは上がっていないように思います。町家で典型的な防火壁は見られます。
出典:国土地理院空中写真(2011年)
空中写真で見ると、長屋の地割がしっかり残されていることがよくわかります。




まちづくりの拠点施設となっている『千軒舎』。薬屋・歯科医院として使われていた内藤家住宅を改修したもので、明治時代前期建築とされています。これは中庭側から見たものです。
ゆったりした庭空間が作り出す優しい自然光は、古民家の大きな魅力のひとつ。質素でモノクロのような空間は心が落ち着きます。



宇陀松山は現在も、宇陀市街地方面と各集落との接続地として賑わっており、多様な商店がみられ、楽しく散策できる街です。その分、歴史建築の中に近代的な住居も混じるなど、街並みの迫力で言うとちょっと劣るかもしれません。これはひと際目立っていた奈良漬けのおみせ。
店先には立派な杉玉がぶら下がっていました。



街並みの北端にある慶恩寺。込入った町から一気に視界が開け、町並みの終点を感じさせます。

夕刻の訪問でしたが、宇陀松山は街並みのライトアップも行っているようで、写真を見る限り大変きれいな模様。いつか再訪したいと思います。



クセス
近鉄榛原駅より奈良交通バス
大宇陀行に乗車し、終点「大宇陀」下車


文化庁
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/hozonchiku/pdf/r1392257_069.pdf

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