小浜は若狭藩のほぼ中央にあり、内外海半島と大島半島に囲まれた内港という地理条件から、京都や大阪からの陸運と海運との中継点として発展しました。サバを中心とした海産物が小浜から盛んに京都へと運ばれていたため、小浜・京都間には若狭街道をはじめ、“鯖街道"と通称される街道が網目のように張り巡らされ、往時の隆盛を伝えています。
熊川は小浜と近江今津のほぼ中間に位置し、若狭と近江の教会として古くから交通の要衝でした。宿場として本格的な整備を受けたのは1589年、当時の小浜城主であった浅野長政が諸役免除の布告を発し、この地の特別の発展を図ったことが発端です。以降若狭代々の領主がこの政策を受け継ぎ、熊川は江戸時代を通じ鯖街道随一の宿場町として大いに繁栄したようです。
最盛期は200戸ほどの住戸が肩を寄せ合っていたそうです。現在でも100戸ほどの住戸が残されています。
熊川宿は、京都に近い南東から大きく上ノ町(かみんちょう)・中ノ町(なかんちょう)・下ノ町(しもんちょう)の三地区に分けられ、中ノ町が街並みの中心です。
上ノ町は、宿場入り口(道の駅)から中条橋まで。道の駅の効果もあってか人通りはありますが、住戸もまばらで商店も少なく、落ち着いた雰囲気です。
上ノ町に並ぶ本二階の比較的新しい町屋。こちらは妻入りの町屋。上ノ町には茅葺の民家もあり、様々な形態の住戸が存在しています。街並みとしての統一感はあまりありません。
中二階に虫籠窓の京風町屋。福井とはいえしっかり関西文化圏ですね。
熊川宿では街道に沿って、『前川』と呼ばれる用水路が流れています。宿場の北側を並走する北川から取られたもので、豊富な水量に意外と速い流速と、ちょっとした川のようです。
用水路は街道沿いにはよくみられる景色で、沿道の生活用水は勿論、旅人の馬の水分補給などにも活用されたと言われています。熊川宿は四方を山に囲まれており、顔を上げれば緑が目に飛び込んできます。住むには不便ですが、たまに遊びに行くにはとてもいいところです。
都会生まれとしては、こういうところに住んで景色を守ってくださっている住民の方には感謝の気持ちしかありません。
『まがり』と呼ばれる枡形を過ぎると、下ノ町に入ります。
熊川の集落は、宿場とその北側の水田地程度しか平地がなく、それが町の全てといった規模感です。そうは言っても、伝建地区から一歩入ったら役場があるというのはなんとなく変な感じ。伝建って、町の中心から外れているおかげで古い建物が残った事例が多いですからね。
熊川区の氏神であり旧指定村社である白石神社。宿場にはほぼ必ず神社がありますが、熊川宿だけでも4社存在しています。
熊川宿で最も古いといわれる町屋、『倉見屋 荻野家住宅』。平成26年に国指定重要文化財に指定されています。
※一応公式サイト等の説明では卯建とされていますが、独立屋根がないため卯建とすべきか微妙なところではあります。
南に山の迫った下ノ町では夕刻には影が落ち、山村らしい侘しさが漂っていました。民家が多いと見え、住民の車が多数止められています。また下ノ町の途中からは長く寄り添ってきた前川にも別れを告げ、道幅も狭くなります。とくに朝夕は、あまり散策に向きません。
おまけ
アクセス
JR湖西線近江今津駅、もしくはJR小浜線小浜駅・上中駅より
西日本ジェイアールバス・若江線乗車
『道の駅若狭熊川宿』バス停下車
出典
若狭鯖街道熊川宿
http://kumagawa-juku.com/
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